外資系金融の歴史と将来予想。今後稼ぐために必要なスキルは何か?

1. 日本における外資系金融機関の歴史

今日は2020年10月2日で秋晴れ。観光シーズン到来で、私はのんびり休暇を取っている。
そこで、ゆっくりと日本における外資系金融機関の歴史を振り返って、将来どうなっていくかについて予想をしてみたい。

①ジェネシス:始まりはバブル期

外資系金融機関が日本でビジネスを開始するようになったのは、1980年代である。
ゴールドマン・サックスが証券業の免許を取得したのが1983年である。
そして、当時、ゴールドマン・サックスと並ぶ2強であった、もう一つのブランド、
モルガン・スタンレーが証券業の免許を取得したのが1984年である。
この当時は、グローバル金融機関のM&Aが始まる前の時代なので、UBSはまだ存在していなかったし、欧州系証券会社は小さな拠点しか東京には無かった。

外資系金融機関が日本に本格進出を開始するようになったのは、1985年以降の、いわゆるバブル期である。この時は、プラザ合意による円高の影響で内需拡大が政策上の課題となっており、規制緩和など外資系金融機関を東京に呼び込む諸施策が採られたことが、外資進出のきっかけの一つとなっていた。

この当時は、新卒で外資に行くという発想はほとんどなく、行くにしても日本の証券会社を経由していった方が得だと言われていた。

②黎明期:1991年バブルの崩壊以降、裁定取引による外資系証券のプレゼンス向上

外資系証券の存在が業界、世間に知られるようになったのは、バブル崩壊期である1991年頃からである。

当時の主役はゴールドマン・サックスではなく、ソロモン・ブラザーズ証券である。今の就活生とかは全くピンとこない会社名かも知れない。

ソロモン・ブラザーズは米国本社も主として債券のトレーディングをメインとする会社で、当時の日本においては裁定取引(最初は現物と先物の価格差に着眼した取引)を中心に、バブル崩壊で収益低迷に苦しむ国内系証券会社を尻目に、巨額の利益を達成していた。

そして、当時は、スワップ、オプションといったデリバティブが日本に浸透し始めた頃であったので、デリバティブ技術で先行する外資系証券会社がどんどん東京でのビジネスを拡大していったのだ。

また、当時は株式手数料自由化前だったので、短銃な株式のトレーディングとかリサーチ業務も盛んで、非常に数多くの外資系証券会社が存在したのだ。

例えば、英国系だと、ベアリング、フレミング、クラインオートベンソン、シュローダー、SGウォーバーグ、WIカー、スミスニューコート、カザノブといった証券会社が存在していた。(今では死語となったかも知れないが、英国系の証券会社を総称して「マーチャント・バンク」という言い方もしていた。)

カナダ系でも、ウッドガンディ、TD(トロント・ドミニオン)証券、ノヴァスコシア証券、など複数存在していた。

これだけ、エンティティの数があると転職先にも困らず、1990年代は外資系証券会社への転職は大変しやすい恵まれた時代であった。

③拡大期:1990年代後半の不良債権によるハゲタカ系の参入と成功

1990年代、デリバティブ、ストラクチャード商品、株式リサーチ等、独自の金融技術を日本に持ち込み、順調に拡大していった外資系証券会社であるが、1990年代の後半から2000年初頭の第一次インターネットバブルの崩壊位まで、日本固有の事情によって大儲けをできた業界がある。それが、いわゆるハゲタカファンドだ。

1990年代後半、日本の金融機関は不良債権問題に苦しみ、1997~1998年頃には北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、山一證券といった大手の金融機関が破産・清算するなど、危機的な状況を迎えた。

政府もその際に抜本的な対策を講じ、一気に不良債権問題の解決に注力した。
その過程で日本の金融機関が保有していた不良債権が二束三文で売り出され、それを外資系金融機関が購入・転売することによって大儲けをすることができたのだ。

どういうことかというと、不良債権には担保として不動産がくっ付いていたので、それを権利関係を綺麗にするなどして売却することによってキャピタルゲインを得ていたのだ。

不良債権の転売ビジネスは、ゴールドマン・サックス、メリルリンチ、モルガン・スタンレーなどの既存の証券会社も参入したが、当時は、ローンスター、サーベラスといったいわゆるハゲタカファンドも参入した。

また、当時の企業リストラにも関連して、小説やテレビドラマのモデルにもなったPEファンドが活躍したのもこの時期である。リップルウッド、カーライル、ベインキャピタル、KKR、ペルミラあたりが大手のPEファンドであるが、この後、日本でのPEビジネス市場は大して拡大しなかった。

このように、21世紀に入った段階で、外資系金融の存在感は金融業界だけではなく、一般的にかなり知れ渡ったと思われる。

④最盛期:2001年~リーマンショックまで

2001.9.11の事件と、第1次インターネットバブルの崩壊によって、2001~2002年にかけて一時期低迷した時期もあったが、その後も外資系金融機関は順調に東京でのビジネスを拡大していった。

当時の外資系大手証券会社はどこも新卒採用を熱心に行うようになり、トップ就活生の間で外資系金融の人気や難易度が最上位になったのもこの頃ではないだろうか?

この時期はグローバルでも金融機関は好景気であったため、当時外資系金融機関に在籍していた者は、それなりに稼ぐことができた最後のいい時代であったと思われる。

当時の外資系金融機関の給与水準(特にボーナスの水準)は今よりも格段に高く、会社や部門による格差は大きかったが、VPでも年収5000万円から1億円、MDともなると年収1億円というのはただの通過点に過ぎず、年収2~3億、更には本部長クラスとなると年収5億円超という事例も見られた。

<参考:古き良き時代の外資系金融MDのバブリーな暮らしぶり>
https://career21.jp/2019-01-02-124819

⑤衰退期:リーマンショック以降

リーマンショック以降、外資系金融機関の回復は思ったようには行かなかった。
当時の落ち込みは急激であったので、V字回復という淡い期待もなくはなかったが、ギリシャショック、LIBOR不正操作問題といった金融経済上の問題点や罰金問題の頻発によって、親会社自体の収益状況が苦しくなった。

また、リーマンショック前の好況期に高値で買収した投資銀行が足を引っ張ったりしたため、特に買い手であった大手欧州系投資銀行は低迷が続いている。

そもそも、投資銀行ビジネスの収益の8割を稼いでいたトレーディング業務が、いわゆるボルカールールによって大幅に規制をされてしまったのであるから、収益が回復できるわけもなかった。

ドイツ銀行のリストラが報道されているように、リーマンショック後、10年以上経過しているが、以前のような輝きを取り戻せていないのが外資系証券会社における状況である。

<ドイツ銀行のリストラと就活について>
https://career21.jp/2019-07-02-101351

2. 過去に外資系金融で一儲け出来たパターン

上記のように、日本における外資系金融機関の歴史は35年程度である。
そのうち、リーマンショック前以前に一定期間外資系金融機関で働けたものは、それなりに稼ぐことが出来たかも知れないが、外資系金融機関の場合は、職種やタイトルに加え、儲かる仕事に出くわしたかどうかが非常に大きい。

リーマンショック前までは、特定の業種によって、今では考えられない位稼ぐことができたのだ。それは、その人の能力・スキルというより、儲かる仕事に就けたか否かという運の要素が非常に強い。

MECEではないが、以下、一儲けできた外資系金融機関の仕事について紹介する。

①裁定取引のトレーディング業務

1990年代の外資系金融機関の黎明期のうち、1990年代初頭から中盤にかけての時期のことである。国内系証券会社に先駆けて、ソロモン・ブラザーズを始めとする外資系証券会社はこれで大儲けすることが出来た。途中から市場規制や国内系証券会社の参入によって、収益機会は縮小してしまったので、本格的に稼げたのは5年間位であろうか。

この間、ソロモン・ブラザーズのトレーディング部門におけるMDであれば2~3億円クラスの年収を稼ぐことができたと思われる。

②大手銀行の優先証券の引受業務

1990年代の半ば以降、金融機関の不良債権問題が深刻化したため、大手の銀行は自己資本を増強することを目的として、優先証券を発行し、外資系証券会社が引受先となった。

日本の大手銀行は、競合でもある国内系証券会社に案件を渡したくなかったので、この仕事は外資系証券会社が案件獲得できる非常に美味しい仕事であった。

これらは、ソロモン・ブラザーズ、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックスといった米系大手が幅を効かせていた。これらはIBDの仕事であったが、現状では考えられない位の収益性の高さであり、こちらもMDクラスであれば年収2~3億円レベルは稼げたであろう。

しかも、当時は外資系金融機関の黎明期であり、新卒社員はまだ幹部になっておらず、中途採用組が幅を効かせていた。当時はまだまだ英語ができる国内系証券会社の人材が少なかったので、今よりは緩い条件で外資系証券会社に就職することが出来た。

やはり、動くのであれば早い方がいいのである。

③不良債権/不動産関連ビジネス

上述した通り、外資系証券会社がプレゼンスを高めるきっかけが不良債権関連業務である。不良債権ビジネスは担保としてくっ付いている不動産の売却ビジネスとセットになっていたので、不動産ファンドビジネスが盛り上がった。

当時、日本の外資系証券会社で最も存在感が高かったのは、モルガン・スタンレーである。ゴールドマン・サックスも儲かっていたが、モルガン・スタンレーの不動産ビジネスは当時突出していた。日本のモルガン・スタンレーのIBDの収益の8割は不動産ビジネス関連とも言われていた。

④通信関連ビジネス

次は、1990年代後半から2000年台初頭の通信関連ビジネスである。
ここでいう「通信」とは移動体通信、要するに携帯電話ビジネス関連である。
ドコモが上場したのが1998年10月であったが、今でもそうだが、携帯電話ビジネスは売上、利益、時価総額いずれも大きいので、外資系証券会社で通信関連ビジネスに従事していると、とにかく儲かる機会に恵まれた。

エクイティ・ファイナンス(特にIPOや売出業務)やM&AでIBDが大きく稼げたのは当然だし、通信セクター担当のリサーチ・アナリストも数億位稼げた時代であった。

⑤Principal Investment Business

プリンシパル・インベストメント・ビジネスというのは、主として証券会社の自己資本を使ったトレーディングビジネスである。トレーディングといっても、ここでは一般的な有価証券ディーリングではなく、PEビジネスに近いイメージである。

国内系では野村證券の戦略子会社であった野村プリンシパル・ファイナンスが有名であったが、外資系証券会社ではゴールドマン・サックスの独壇場であった。
著名なディールとしては、フジタや三洋電機の案件があげられる。

リーマンショック以降の証券会社の自己資本規制によって、この種のビジネスはほとんどできなくなってしまったが、当時は大儲けすることができた。

3. 外資系証券会社で将来、大きく稼ぐことはできるか?

①歴史的な流れから考えて、外資系証券会社の好況期は再びやってくると言えるか?

日本における外資系金融機関の歴史は35年程度である。
1980年代のバブル期に登場し、1990年代に急成長し、21世紀に入っても更なる拡大を続けてきた外資系証券会社であるが、リーマンショックを転機に一貫して下降トレンドになる。

この歴史的な流れから見て、将来、外資系証券会社が再び好況期を取り戻すことができるのだろうか?将来何が起こるかは誰も予想できないが、普通に考えるとあまり楽観視できなさそうである。

また、リーマンショック以降、長期的に外資系証券会社は以前のような活況を取り戻せていないが、これは景気循環の問題ではなく、構造的な問題がある。それまで収益の8割を稼いでいたトレーディング業務がボルカールールによって大幅に制限されることになったので、ここが変わらない限り、以前のような姿に戻るのは期待しづらいだろう。

②少子高齢化による日本の国内市場にどう対処できるか?

外資系証券会社の親会社は海外にあるが、日本国内で稼げないと日本拠点のビジネスは縮小を余儀なくされてしまう。

言うまでもなく、少子高齢化によって日本の国内市場は縮小するだろうし、日本企業の国際的なプレゼンスは低下してきている。

日本の金融機関であれば海外で稼ぐ比率を増やせばいいのだが、外資系の日本拠点としてはそういう訳には行かない。日本国内或いは日本企業から収益を上げられないと日本拠点の存在意義は無いのである。

もっとも、不良債権問題や不動産ビジネスのように、景気が低迷していても、世の中に構造的な変化や大規模なリストラが生じる際には、外資系金融機関にとってはチャンス到来とも言える。

そのような波が再び到来し、それに乗ることができるのであれば、一儲けですることは可能であろう。

③AI/IT系の波に乗れるか?GAFAの恩恵を受けることができるか?

グローバル、日本国内を問わず、AI/IT関連業務はまだまだこれからも成長していけるだろうし、世の中はAI/ITによって大きく変わって行くだろう。

問題は、外資系証券会社でAI/ITビジネスの成長による利益を享受することができるかどうかだ。

外資系証券会社というのは、制度・規制(民営化)、金融・不動産、通信制度といった世の中の制度や仕組みの転換点を上手く捉えて大儲けに成功することができた。

しかし、テクノロジー、特にネットとかAIといった分野はあまり得意ではない。
日本だと、GAFAのような巨大IT企業が存在しないだけに、なおさら、こちらの世界は余り得意ではない。

ネットIT系の企業が成功した後に追いかけることは出来ても、それを事前に察知して儲けることは難しい。要するに、GAFAがあれだけ大きくなっても、証券会社はその恩恵を受けることはできなかったのだ。

この点、ゴールドマン・サックスはフィンテック分野において、OnDeck、Motif Investing、Oscar、Dataminr、Circleといったベンチャー企業に早期から投資をし、一定の成果を上げてはいるものの、かつてのPrincipal Investmentでの成功と比べると桁が1つとか2つ少ないレベルである。

ゴールドマン・サックスは証券会社の中でもテクノロジーに嗅覚が鋭い方であるが、それ以外のグローバル投資銀行は、それさえもできていないのが現状では無いだろうか?

これから、外資系証券会社で一稼ぎしようと思うと、AI/IT分野で取りこぼしをしないようにしたいところであるので、こちらが苦手だとか興味がない人はあまり向いていないのかも知れない。

4. しかし、将来外資系証券会社で儲けるチャンスが無いわけではない

いろいろ考えてみると、外資系証券会社の将来について、悲観的なことばかりが思い浮かぶが、チャンスが無いわけではない。

上記2の、過去に大儲けできたパターンを見てみると、不良債権(金融機関の体力増強)、不動産ビジネス(マクロ経済の転換)、通信ビジネス(社会インフラの変革)といった世の中の大きな流れと変化を捉えることに成功しているのである。

これらは全て、マクロ経済環境が不調の時に生じたビジネスチャンスである。
したがって、今後日本経済の低迷が続いたとしても、社会インフラの転換点があれば、稼げるチャンスはあるのである。

具体的には、終身雇用の廃止に伴う、大企業の企業再編が起きる可能性はあるし、地銀の経営状況はまずくなっていく一方であるので、どこかで1990年代後半のような資本増強とか大再編が生じる可能性もある。

また、それに関連して地方の不動産市場が大きく動く可能性もある。

そう考えると、不動産とか地銀の動向に詳しく、ビジネスセンスのある人材は外資系証券会社で一山当てられるかも知れない。

また、不動産にしても日本企業にしても、今後は買い手としての中国企業のプレゼンスが間違いなく向上するであろう。そうなると、中国語とか中国ビジネスに詳しい人材にはチャンスがあるだろう。

AI/ITについては前述の通りである。

以上を踏まえると、英語やファイナンスというのは当然として、加えて、不動産、中国語、AI/ITに詳しい人材は、将来も外資系証券で稼げる可能性はあるかも知れない。

もっとも、そういった人材は貴重なので外資系証券会社に来るよりも、他の方法で成功することもっ可能なのだろうが…。

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