※これは2003~2007年頃のリーマンショック前の好況期の話ですので、当時は外部環境が全く異なり、今ではこのような暮らしは現実的にはほぼ不可能である点、ご留意下さい。
1. 学生の憧れの外銀の暮らしは、「昔は」本当に凄かった!
新年度早々ということで、景気がいいというか、バブリーな昔話を一つご紹介。
これは、知人の外銀(某欧州系証券会社)のMD、当時アラフォーの男性の優雅な暮らしぶりを紹介するものである。
2. 住居について
外資系証券会社のMD(というかMDに限らないが)は、職住接近を好む。
彼はマーケット関連の職種であったっ為、出勤時間は早く、朝7時前にはオフィスにいたので、職場から近い港区内のタワマンに居住せざるを得なかったのだ。

彼は、当時、ありがちだがバツイチで再婚して子供がいたので、ある程度の広さ(120平米位)が必要であったので、港区内のタワマンの3LDKに暮らしていた。
賃料は、実は坪単価で見ると今よりは安く、80万円代であった。
2. 車について ~二刀流~
外銀のMDというと、「フェラーリ」ということで、面白くも何ともないが、彼は車が好きだったので、それ以上であった。

もちろん、彼はフェラーリは所有していた。ただし、当時は今よりも安く、新車で2000万円程度で購入できたので楽勝であった。
ただ、クルマ好きの彼の特徴は、もう1代持っていたのだ。

彼は、ランボルギーニがお気に入りで、休みの日は、主として都内をランボルギーニでドライブするのが趣味であった。
これも、現在のランボルギーニのウラカンと比べると、値段は低く、2000万円位ではなかったかと記憶している。
彼は、フェラーリとランボルギーニの二刀流であったのだ。
EXITに成功したIT経営者が、フェラーリかランボルギーニのいずれかを購入するのはよくあることだが、両方とも持つのは珍しいと思う。
それから、蛇足であるが、彼は結婚して小さい子供がいたので、奥さん用にベンツか何か(ジャガー?)、もう1台、ファミリーカーがあったのは確かである。
3. 食について
これもいかにも外銀MD風という感じで、面白くも何ともないのだが、彼はワインが好きであった。
もちろん、シャトー物が大好きで、この店(正確には、その前身の「きつねや」という店)によく通っていた。
それから、彼は、洋食も和食も好きで、高級すし店で日本酒を飲みながら寿司を食べることも得意であった。

4. 小物について
基本、外銀というのはお金が好き、お金に執着心が強い人が出世しやすいので、彼はお金も好きだし、それを使うことも好きであった。
男性はアクセサリーとか鞄には、女性のようなこだわりは無い代わりに、「時計」が好きな人は多い。
彼の場合は、時計についてはマニアックな趣味はないが、ブレゲ、ロレックス、カルティエ等、5~6個は保有していた。
その中では、これがお気に入りであった。
ロレックスの「青サブ」と呼ばれるもので、彼が持っていたのは、ホワイトゴールドモデルで、当時で約300万円位だったと思う。
5. 結局、当時の彼の年収は?
順番が前後するが、結局彼の年収はどうだったのかについて振り返ろう。
外銀のMDのベースと呼ばれる基本給は、どこも大して差は無く、2500~3000万円くらいであった。
リーマンショック後のボーナス規制の影響もあり、面白いことに、ベースについては、当時の方が低かったのである。
(現在の、外銀MDのベースは3000~4000万程度)
ただし、今とは全く違うのがボーナスの水準である。
彼の年収が本格的に上昇したのは、1999年の第一次インターネットバブルのあたりからである。
そこから、2008年初頭位まで、彼のボーナスは1億円以上あったはずだ。最盛期には、ベースと併せて年収は2億円位はあったのではなかろうか。
しかし、計算が早い人はお気づきかも知れないが、外銀MDとはいえサラリーマンであり、税金はがっぽりと引かれ、経費が使えない点は経営者とは全く異なる。
従って、ベースの分だけでは生活費は足りず、ボーナスが日常の生活費や遊興費に使われていたわけである。
だから、健全にやっていれば、リーマンショックの時点でも3億円以上はキャッシュがあったのだろうが、リーマンショックは想定外だったので、おそらく1億円も預金は無かったのだ。
最後に
これは昔の話で、今は外銀MDになったところで、彼の半分も稼げないことが大半だろう。
まあ、彼のような贅沢な暮らしをする必要は無いが、反対に、このような贅沢な暮らしがしたいというのであれば、外銀など狙わず、IT系経営者を目指す方がいいと思う。