ヘッジファンドの運用職で年収1億超を狙ったが失敗したケース

1. 皆が成功できるとは限らないヘッジファンドでのキャリア

バイサイド(ヘッジファンド)のキャリアで、大成功を収めたケースを紹介したが、当然、皆が皆、同じように成功できるわけでは無い。

極端な成功報酬型のキャリアであるヘッジファンドにおいては、当然成功できない人も当然いる。

そこで、今回は、ヘッジファンド中心のキャリアで来たが、結局成功を収められなかった人の事例を取り上げたい。

(ちなみに、ヘッジファンドで成功した人のケースはこちら)

https://career21.jp/2018-12-10-065047/

 2. 結局成功できなかったKさんのキャリアの概要

Kさんは、私の元同僚で、現在50歳ちょいである。

何の仕事をしているかはよくわからないが、何とか生活している模様である。

(フェイスブックで見かけたので。)

私が把握しているまでの、Kさんのキャリアは以下の通りである。

Kさんは東大経済学部を卒業し、最初に都市銀行(現みずほ銀行)に就職した。

就職したのは、バブル期末期である。

当時は、都市銀行にはコース別採用は無く、東大出身といえども最初の半年から1年はリテール営業店に配属され、つまらなく、キャリアにならない仕事に従事した。

当時(今でもそうだろうが)、都市銀行の場合は、配属等については、露骨な学歴差別があったので、Kさんはすぐに本部に戻されることとなった。

都市銀行の本部で、Kさんはどんな仕事をしたのかはわからないが、20代の後半頃には、子会社である運用会社に出向することとなった。

そこで、Kさんは日本株式等のファンド・マネージャー業務に従事することとなり、そのまま、キャリアを重ねていった。

そして、2006~2007年頃、Kさんは外資系ヘッジファンドに転職し、勝負をしてみることとなったのだ。

ところが、Kさんがその外資系の大手ヘッジファンドに転職して1年もたたない頃、当時勃発したサブプライムローン問題をきっかけにその外資系大手のヘッジファンドは倒産してしまった。

これは2008年のことである。

このため、Kさんは何の実績も出せないまま、2008年(リーマンショックの年)に職を失うことになるのである。

当時は、ほとんどのヘッジファンドがやられ、成功報酬がメインではない一般的なバイサイド(運用会社)も厳しいリストラに見舞われ、とても転職先を見つけられる状況ではなかった。

また、業績が悪化したのは国内系の運用会社も同様であり、国内系の運用会社に復帰する途も無かった。

(なお、リーマンショック当時、Kさんは40歳であり、景況感が悪くなかったと仮定しても、年齢的に国内系の金融機関への転職はもともと容易ではなかったのであるが…)

結局、Kさんは1年以上長い就職浪人生活を送ることになるのである。

そして、2009年の夏に、Kさんは外資系運用会社の運用関係の職を見つけることができた。

もっとも、それは、成功報酬型のポートフォリオ・マネージャー職ではなく、日本株式をメインとする発注関係のポジションであった。

基本給は1000~1200万円程度であり、ボーナスは数百万円レベルのポジションである。

ところが、皮肉なことに、リーマンショックから1年が経過し、採用を始めるヘッジファンドも出てきたのか、せっかく、職にありついたKさんに、ヘッジファンドからお声がかかった。

それは、成功報酬型のポートフォリオ・マネージャーのポジションだったのである。

今の外資系のポジションだと、せいぜい千数百万円レベルの年収であるが、お声をかけてくれたヘッジファンドのポジションだと、うまく行けば、5000万、いや、1億円以上も可能だ。

Kさんは迷ったのだろうが、結局、そのヘッジファンドに転職をすることとしたのだ。

せっかく見つけた、外資系運用会社はわずか半年程で去ることとなってしまった。

しかし、残念ながらKさんは、そのヘッジファンドでは大した運用実績を出せなかった模様であり、結局、何年か後には、消え去っていたようだ。

これが、2013~2015年位の話だ。

 3. Kさんのキャリアにおける考察

①ヘッジファンドの運用職は運用成績が全てである

ヘッジファンドの運用の仕事は、運用成績という結果が全ての、厳しい世界である。

東大を出ているとか、ハーバードを出ているとかは一切関係ない。

また、過去の成功実績があっても、メッキが剥がれるまでの数年位は何とか残れるかも知れないが、連敗するとクビである。

(厳しいところだと、1年でクビもあり得る)

うまく行けば青天井、年収数億も可能な世界であるが、失敗するとクビということは留意しなければならない。

②外資系で勝負をするには早い方がいい~30後半デビューは遅すぎ~

Kさんのキャリアの特徴としては、勝負をかける年が遅すぎることである。

最初の外資系ヘッジファンドに転職した時の、Kさんの年齢は、30代後半であった(40近い)。

これはかなり遅い部類であり、失敗した場合には、取り返しがつかない。

30代であれば、国内系運用会社に復帰する可能性もあったが、40代だとかなり厳しくなる。

勝負するのであれば、30歳前半位にしたいところである。

Kさんはこのへんの決断が遅いところが、運用でもうまくいかなかった性格的な要因かも知れないが、それは何とも言えない。

 ③失敗しても成功実績があればいいのだが…

ヘッジファンドのポートフォリオマネージャーが、思ったような、運用実績を出せずクビになるリスクはある。

しかし、せめて数年位の成功実績があれば、青天井の成功報酬制度によって、1億円位を蓄財できている可能性がある。

そうであれば、クビになった場合のリスクを相当程度軽減できる。

ところが、Kさんが気の毒だったのは、1度もまとまった成功報酬を得ることができなかったのである。

これは、Kさんにとってつらい話である。

4. 最後に

残念ながら、東大⇒国内系運用会社⇒外資系ヘッジファンド、と成功を掴むことができる機会は得たが、Kさんは結果を出すことができなかった。

また、リーマンショックというのがタイミング悪く、Kさんのキャリアに影響を与えてしまった。

しかし、英語ができて学歴があって職歴があれば、野垂れ死にすることは無く、細々と(年収800~1000万円程度)

やっていけるくらいの職は見つかるようだ。

もっとも、都市銀行にいるよりは少ない年収だが。

ヘッジファンドのポートフォリオ・マネージャーは、外銀のトレーダーと同様、ハイリスク・ハイリターンである。

それでも、挑戦したいという人は、リスクを踏まえて最初に国内系運用会社の門を叩けば良いだろう。

外銀のトレーダーと違って、国内系運用会社であれば、内定をもらえる可能性は高いであろう。

  • ブックマーク